Z世代がリサイクル率日本一の町で挑戦!自分の手で自分の未来をつくる社会をめざす 2024/01/09

#15 藤田香澄さん|合作株式会社大崎事業チームチーフ・大崎町SDGs推進協議会ディレクター・大崎町議会議員

TSUNAGU[つなぐ]
さまざまな出会いや気づきから、「好きなこと」「伝えたいこと」その熱意を原動力にして、自分のスタイルで発信する「人」にフォーカスします。それぞれのサステナブルへ“つなぐ”、発想や取り組みを紹介。





合作株式会社大崎事業チームチーフ・大崎町SDGs推進協議会ディレクター・大崎町議会議員 /藤田香澄(ふじたかすみ)

1995年生まれ。長野県出身。幼少期から国内外で環境・地域課題を目の当たりにする。高校生・大学院生時代の研究を通して現状や課題への理解を深め、卒業後は面白法人カヤックに入社。地域資本主義事業部においてディレクションを担当。退職後、合作株式会社へ入社。大崎事業チームチーフとして「一般社団法人大崎町SDGs推進協議会」の事務局運営に携わり、資源循環型のまちづくり「サーキュラーヴィレッジ・大崎町」の達成に向けてプロジェクトの企画立案、関係者調整、実施業務を担当。2023年4月には大崎町初の女性議員として当選を果たした。サーキュラーエコノミーの実現、子どもの居場所づくり、有機農法の普及などに特に注力し、活動を行っている。



20代で大崎町に移住。サーキュラーエコノミー推進メンバーと大崎町初の女性議員として活動



資源ごみリサイクル率日本一を14回獲得し、SDGs未来都市にも選ばれた鹿児島県大崎町。この町に26歳の若さで移住し、「サーキュラーヴィレッジ・大崎町」の構想を打ち出し、企業を巻き込んで社会問題を解決するビジネスを牽引している藤田香澄さん。

町内のSDGs推進を担う株式会社合作のメンバー、大崎町初の女性町議会議員という2つの肩書きを持ち活動している。

「大崎町がリサイクル日本一であること、これは住民や役場の方々の尽力によって25年の時間をかけて成し得たことです。今リサイクル率は80%以上を達成して、限界まで来ているので、次の段階に入っています。さまざまな企業と連帯をしてつくられる製品から変えていくなど、新しい循環型社会をつくっていこうと取り組みを進めています。その中で私は、生ごみを堆肥にする大崎町の取り組みを、他の地域に広げる活動を中心に関わっています」と藤田さん。

また議員としては、サーキュラーエコノミー実現のための活動のほか、子どもの居場所づくりや有機農法の普及にも力を入れており、活動の幅は多岐にわたる。

ウィークデイは合作が運営や企画を行う大崎町SDGs推進協議会の仕事を、週末は議員として、多忙な日々を送っている。

「私にとっては、今のバランスがちょうど良いですね。それに、自分の時間を割くなら、少しでも社会が良くなることに割きたいという考え方があるので。苦には思わないですね」



朗らかに話す藤田さんからは、忙しさや疲れではなく、未来へ向かうエネルギーがたくさん伝わってくる。サステナブルな社会の実現に向けて取り組み続けられる原動力はいったいどこからくるものなのか、お話を伺った。



「自分の時間を社会が良くなることに使いたい」。南太平洋諸島の経験がきっかけに



藤田さんがよりよい社会を願うようになったのは、幼少期の南太平洋諸島の経験が大きく影響している。父親が漁業の技術協力の仕事に就いているため、生まれてから13歳までの期間のほとんどを海外で過ごした。住んでいたのは、ツバル・キリバス・フィジー。どれも美しい海が印象的な国々だった。

「ツバルにいた頃は、現地のお母さんたちに見守られながら、同世代の子どもたちと一緒に育ったという感じ。写真を見返してみると、たくさんの人に抱っこしてもらい可愛がっていただいたようです。ツバルの家は高床式で、ご飯は魚や芋やココナッツがメインでした。遊びは、海に行ったり、現地の踊りを楽しんだり…。美しい海と、青空と、砂浜。当たり前のように自然の中で暮らして育ちました」

地球環境に対して意識を向けるようになった最初のきっかけは、小学校6年生の時にフィジーの学校で取り組んだ学習発表だった。「汚染」をテーマに、各自が調べたことを発表するというものだ。海に親しんできた藤田さんは、ごく自然に「水質汚染」をテーマに選んだ。世界中のごみが海岸に散乱し、海が汚れていくことに対する人々の悲しみを目の当たりにして、胸に迫るものがあった。この経験が、子どもながらに、そのごみが海の生態系やそこで暮らす人々の生活に悪影響をもたらしていることが分かり、藤田さんの意識を大きく変えた。



学習発表会の発表形式は自由。工作が好きだった藤田さんは、汚染エリアを記した地球の模型やフィジーの伝統的な紙を使った啓発栞などを作った。



帰国後、日本の高校の卒業論文で「ツバルの環境問題」を取り上げたことが、環境問題や地域の課題を解決したいと思う大きな転機となった。国際社会でも、教科書の中でも「海面上昇が続くと沈んでしまう国」と言われているツバルだが、実際に住んでいる同世代の人たちがどう感じているのかを知りたいと思った。このために、ツバルに一週間滞在して現地調査を行った。ツバルと日本の中学生に対し、「自分の暮らしの中でどんなことについてよく考えますか?」とアンケートやヒアリングを行った。

「日本の中学生の答えは、自分の将来・友人関係・恋愛関係など、身近で目の前の問題に関わる内容が中心でした。一方で、ツバルの中学生たちの多くが、国の将来に対する不安、この街に住み続けることができるかどうかの不安などがTOPになっていた、その差にとても驚きました。同世代なのに、自分の住む街や国の将来を不安に感じるような危機に直面していることに衝撃を受け、自分は何ができるのかを真剣に考えるようになりました」



海外に向いていた目線は、日本の「地域」へ



高校卒業後は、世界の環境問題や気候変動への影響を国際社会で解決していくことに興味があって、関わっていきたいと思い、国際関係を学ぶため大学へ進学した。将来は海外で仕事をしたいという希望も持ち、外交官をめざして国家試験にも挑んだが叶わず、大学院に進学することにした。

大学院1年目で、藤田さんの考えを変える体験をする。大学の地域活動に取り組むプログラムに参加し、青森県十和田市に行った。青森県は、観光産業が盛んな地域だが、人口減少や観光客の減少といった課題に直面していた。しかし、藤田さんが最も心惹かれたのは、「明日の暮らしを自分の手でつくっていく、生業をつくって楽しんでいる」地域の人々の力強さだった。

「観光協会や地元商店街の方々、青森県の職員の方がコーディネートして十和田湖・奥入瀬渓流の景勝地や近くの八甲田連峰にスキーやスノーボードに連れて行ってくださって。そこで、地域の資源を最大限活かしたり楽しんでいる地域の方々や山のガイドさんと出会えたことが大きなきっかけとなりましたね。それまでは外交関係で日本の存在感を上げていくことに興味を持っていましたが、そもそも地域の経済が健全で活力があることがとても大切で、日本の発展につながると気づいたことで、地域についてもう少し勉強したいと思いました」





青森での経験をきっかけに藤田さんは、地方自治や行政学へ切り替えた。大学院卒業後は、鎌倉に本社を持つ、地域への移住サービスや地域通貨の導入の取り組みを行う民間企業に就職した。そこでは首都圏と地域をつなぐ仕事だったが、さまざまな地域の人と関わりが増えるにつれ、「自分も地域の担い手になりたい」という想いがさらに強くなった。
「マッチングでご紹介して、地方で活躍しているみなさんがとっても楽しそうだったんですね。私も地域の人になりたいなって思って」


そこで偶然出会ったのが合作株式会社の求人だった。


「地域の一員として課題に取り組みたいという思いと、環境問題や社会課題の解決に関われる仕事に就きたいということ、両方が叶えられる仕事だ!と思い、大崎町に行くことを決めました。鹿児島県に行ったこともなく、知り合いもいなかったのですが、自分のやりたいことに挑戦できる喜びが大きかったです」


移住して2年が経った。仕事や町の暮らしにも慣れてきたが、環境問題だけでなく子どもの居場所や女性の活躍推進など、一人ひとりが大崎町で気持ち良く暮らすために足りないことも目についてきた。


2023年4月の統一地方選挙に立候補。地域の方々の支援も受けて、大崎町初の女性議員としてトップ当選を果たした。



当選後実施した「大崎町の未来をかたる会」で住民の方々と行った大崎町でやってみたいことについて考える場の様子。



「大崎町の町をこれからどうしていきたいか、住民の方や役場の方と一緒にディスカッションをしっかりとして、その議論をまとめていくことは、本当に難しいことだと改めて感じています。年齢も、職業も、何をめざすのかの優先順位や価値観も違う人々が、『まだ目に見えない未来の町づくり』へ、一緒に向かうことは容易ではありません。でも、立場や考え方が違う人同士が力を合わせることによって新しいものは生まれていくのだと実感しています。もちろん移住して議員になって後悔を感じたことは一度もないです。議論や作業は大変ですが、その過程を楽しみながらやっていきたいですね。進めていくうえで、私たちが達成すべき目標や未来のビジョンを明確にすることを事前に準備することが大事。これは、合作の大切な作法として教えていただいたことなのですが、それをきちんと実践していくことが大切だと思っています」



自分たちの未来は自分たちでつくる。地域からアクションを起こす社会に



大崎町のサーキュラーエコノミーの実現に尽力しながら、議員活動として子どもの居場所づくりや有機農法の普及にも力を注ぐ藤田さん。一見多岐にわたる取り組みだが、その根底には、共通した想いがあるという。

「自分たちの未来をどうしたいのか、住民自らが選び、それに対してどんなアクションを起こすのかを全て自分たちで決めることができる地域をつくりたいという想いがあります。今、私がやっている活動の全ては、住民自らが選び、決定すること(住民主権・住民自治)をどのように根付かせていけるかということです。そのための、選択肢を増やしていきたいと思っています。自分のいる環境に慣れてしまって、新たな選択肢に気づきにくいものですが、実は行政への働きかけ方も請願や署名など色々とあります。どう伝えるかを考える過程で自分がどういう社会を必要としているかが分かり、声を上げることもできる。その住民の声をちゃんと行政に届くようにするのが、私が議員として最も大切にしていることです」

ツバルで見た、自分たちの未来への不安を抱える中学生たちの姿から、この想いが生まれているのかもしれない。大崎町や近隣の自治体の中でも、藤田さんと同世代の若い世代が自らの未来について考える動きも少しずつ見え始めている。





役場の若手職員や青年会議所メンバーが、町の未来について話し合う「場」ができてきているという。その中から、学校に通えていない子どもの居場所をつくるプロジェクトが立ち上がり公的支援の必要性について声を上げる動きも出てきた。「一人だけでは未来はつくれないので、こういうグループがもっとたくさんできていって欲しいと思っています。私もその背中を押すことができたら」と藤田さんは語る。

これからの未来をつくる、エネルギッシュな世代。同世代の方に向けたメッセージについて、藤田さんに聞いてみた。

「今は『行動の10年』と言われていて、本当にアクションを起こさなければまずいことになる、危機がすぐそこまで迫っています。地球規模の壮大な課題に対する人間の歩みの遅さには、私も怒りを感じますし、みなさんも悲観的になることもあると思います。そのいちばんの解決策は行動することです。サステナビリティについて学ぶ段階を超えて、ぜひ一緒にアクションを起こしましょう!まずはサステナブルな商品を買うということからでも良いと思います。もし、身近にそういった選択肢がないのならば、どうしたら選択肢を増やせるのか、自分が主体となってぜひ考えてほしいと思います」

アクションを起こすことを大切にする藤田さんが、今後取り組んでいきたいことはどのようなことなのでしょうか。

「他の国々や地域の方が見て、実践できる事例を大崎町からつくっていきたいですね。サーキュラーエコノミー、有機農法、女性の活躍など、テーマは色々あります。でもやはり、いま自分がいちばん力を入れたいのは、住民自らが何を選択するかという気持ちを起こして、行動に移していく風土をつくることです。住民の方はもちろん企業の方も巻き込んで、多様な方々が集まって自然に話し合いが起こる『場』をつくっていくことです。その土台ができれば、自分たちで行動していけると思うのです。あらゆる日本の地域にその動きが広まっていけば、『新しい町づくりのあり方』となって、地域の過疎化などの課題が、活性化というポジティブな方向にシフトしていけると信じています」



ボルボのサステナビリティを体現した「EX30」を藤田さんが体験

「今は大崎町でBEVとPHEVを使っていて、家に充電プラグもあります。ガソリンに比べ、電気自動車の方が家計に優しいのもとても良い点だと思います。EX30にはフロアマットに魚網を再利用しているのには驚きました。魚網はサイズも大きく、機械に絡まりやすいため、事前に細かくカットするなど処理が非常に困難なんです。その他にも再生プラスチックなど、お洒落なリサイクルファブリックの素材サンプルの展示も心惹かれました」