サステナブル・ツーリズムの実現へ。仕組みから、社会を変えていく。 2023/11/02

#14 貝和慧美さん|GSTC アジア太平洋地域マネージャー

TSUNAGU[つなぐ]
さまざまな出会いや気づきから、「好きなこと」「伝えたいこと」その熱意を原動力にして、自分のスタイルで発信する「人」にフォーカスします。それぞれのサステナブルへ“つなぐ”、発想や取り組みを紹介。





グローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(GSTC: Global Sustainable Tourism Council) アジア太平洋地域マネージャー /貝和慧美(かいわえみ)

GSTC会員業務を経て、アジア太平洋地域における会員、研修、会議等の業務全般を担当。近年の日本での持続可能な観光に関する活発な動きにより、日本での様々な業務にも従事。また、現在開発中のMICE国際基準、アトラクション国際基準プロジェクトも担当。
GSTCに本格的に参画する前は、持続可能性に関する国内の企業動向、環境の認証制度、社会貢献活動、資金調達など企業とサステナビリティに関する経験をWWFジャパン(㈶世界自然保護基金)で積む。海外在住時は、様々な産業の営利/非営利団体で経験を積み、ホスピタリティ、持続可能な観光、環境の分野で幅広くプロジェクト管理やコーディネーション業務を専門とする。カリアリ大学(サルデーニャ南部)、太平洋アジア旅行協会(PATA)などで勤務。



サステナブルな観光のための国際基準をつくる、という仕事



『サステナブル・ツーリズム』という言葉を聞いたことはあるだろうか。観光地の本来の姿を持続的に保つことができるように、観光地の開発やサービスのあり方を見定め旅行の設定を行うことだそうだ。そのサステナブルな観光のための国際基準をつくり、管理するグローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(GSTC:Global Sustainable Tourism Council)で、日本の第一線で活躍している貝和慧美さんにお話を伺った。


感染症の流行による移動制限が緩和され、今まさに旅行・観光業が世界的に盛り上がりを見せている。その一方で、オーバーツーリズム、ごみ・騒音などをはじめ、地域に暮らす生活者の暮らしを妨げたり、環境や生態系への影響などの問題が深刻化している今、サステナブル・ツーリズムが海外を中心に必要性が高まっており、観光においても厳しい目が向けられている。


貝和さんが所属している、グローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(以下、GSTC)は、2007年にアメリカで発足した国際非営利団体で、国連世界観光機関(UNWTO)の定義をもとに開発された基準で持続可能な観光を実現するための指標やガイドラインを示す最も重要な国際的機関の一つ。世界各国約560の個人・団体が会員となっており、知見を広げながら新たな観光のあり方を模索、実践している。GSTCの基準を用いて、第三者機関が事業者や観光地域の認証を行う動きも世界的に増えてきているそう。





「私は、基準や認証というものは『生もの』だと捉えています。社会や世界や私たちは、時代とともに変化するので、それに合わせて基準や認証のやり方も常に更新していかなければなりません。認証を取得して、ロゴを得るということはとても分かりやすい目標となるメリットなのですが、一回取得したら“それで終わり”という風になってしまうとそれはもうサステナブルではありませんよね。だから、私たちは基準を4年に一度更新しています。そして新たな基準も開発しています。」

と貝和さん。アジア太平洋地域を専門とし、サステナブル・ツーリズムのトレーニング、国際基準の策定、そして新たな分野における基準の開発を担当し、観光を通じて地域の自然環境や文化、伝統などを守りながら、地域に暮らす生活者と訪れる観光客の両方にとってより良い地域活性をめざす、サステナブル・ツーリズムの普及・啓発に取り組まれている。



ケニアの人々の生き方の中に、自分の軸となる「サステナビリティ」を見つけた



自然豊かな土地で幼少期を過ごし森や川と親しんだことも、現在の仕事を選んだことにつながっていると語る貝和さん。人生観に大きな影響を与えたのはアフリカでの出来事だったという。

「大学の時に、南アフリカの友人を訪ねて1ヶ月ほど滞在して、初めてサファリドライブに行きました。ライオンやキリンなどの野生の動物や、どこまでも広がる地平線。生まれて初めて目にした時、目が開かれた思いがしたというか。人生の見方が本当に変わった瞬間でした」

雄大な自然や生物の姿が忘れられず、数年後にケニアへ渡航を決め、ケニアでの新しい生活の中で貝和さんが衝撃を受けたのは「生と死は常に隣り合わせである」という感覚だという。

「毎日のように子どもが誕生したというおめでたい知らせを耳にするのですね。一方で、赤ちゃんから大人まで、たくさんの方が日々亡くなる現実があったのです。そういう日常が当たり前で、自分も等しく死と隣り合わせの存在なのだということを実感した時に、私はこれからどう生きていくべきか、を真摯に考えるようになりました。アフリカの雄大な自然や地平線を見ながら、世界のこと、地球のことにより向き合いたいと思うようになりました」

南アフリカでの経験が忘れられず、再びアフリカの大地へ戻ってきたいと日本への帰国後も心に決めた貝和さんは、インターネットで見つけた日本マーケットを主とするケニア現地の旅行会社にかけ合い、スタッフ募集をしていないなか、仕事を勝ち取ることに成功した。幼い頃から好奇心が旺盛で、やりたいと思ったことはとことん行動に移す性格。知り合いもいない場所に移住する決断を後押ししたのは、「現地の人々の暮らしや考え方をもっと知りたい」という強い思いだった。



ケニアで働いていたころの貝和さん。



サステナブル・ツーリズムの存在を知ったのは、ケニアでの4年半の暮らしの中でのことだった。

ケニアの人々にとって、自然や野生動物は貴重な観光資源であり、失ってしまえば彼らの生活が立ち行かなくなってしまう。例えば、サファリのドライバーたちは、踏み込んではいけない場所や、環境を害する行動を避け、自然環境や動物、地域社会への影響を最小限に抑えるよう、観光のあり方をきちんとお客様に説明をする。彼らは事業者でありながらも、地域社会の一員としての意識を持ち、自然と共存しながら観光を提供していたのだ。

「彼らは、『地球や地域に良いことだから』という意識ではなく、自分たちが生きていくため、生活を維持するために事業をしています。ケニアで観光に関わる人々の行動が、地道で自然とともに生き、魅力的な人間らしい生き方を示していると感じました」

その後、貝和さんは「サステナビリティ」という言葉に出会った時に、ケニアの人々の生き方と重なったそうだ。表面的に環境のことだけを考えるのではなく、人間社会や経済と密接に関わりあっていることにとても共感したという。

「その考えに合理性があるなと思って、ストンと腑に落ちました。『サステナビリティ』を自分の人生の中で追及していきたいと感じられたんですね。仕事においても軸としていきたいと思いました」

当時はまだ世界的にも「サステナブル」という言葉は広がっていなかったなか貝和さんは、ケニアで観光業に携わった経験から、サステナブル・ツーリズムという分野でなら、日本の第一線でキャリアを築いていけるのではないかと考え、新たな道に進むことを決意したそう。



「生まれた国なのに、居場所がない」と感じたこともあった



貝和さんはサステナブル・ツーリズムを本格的に学ぶため、タイへ移住し大学院を修了した。卒業後、太平洋アジア観光協会(PATA)のサステナビリティのユニットで働いていた時に、GSTCが策定した国際基準の日本語翻訳の依頼が貝和さんのもとに届いた。PATAのスタッフとして関わった翻訳がGSTCとの出会いだった。



左: GSTCのみなさんと。右:PATAで働いていたころの貝和さん。



「サステナブル・ツーリズムに関わっていく方法は色々あったと思いますが、PATAで基準の翻訳に関わったことから、チャンスがあればGSTCの国際基準に関わる仕事がしたいなとは思っていました。でも、国連が協力しているような権威あるGSTCは雲の上のような存在でしたし、まさか将来そこで自分が仕事をするとは、当時はまったく予想していませんでした」

7年ほどを海外で観光業などに関わってきた貝和さんは、自分の生まれた日本の観光業に目を向ける。実情について知りたいという思いがあった。

「海外からは、日本のサステナブル・ツーリズムは他の国々に比べてまだ初歩的な段階にあると一般的に見られていました。その現状を実際に自分の目で確かめて、生まれ育った日本に変化を起こしていきたいと思って、日本国内の観光コンサルティング事業に関わりました」

貝和さんが帰国した2017年は、日本はちょうどインバウンド需要が爆発的に増加していた頃で、経済の側面が重要視され、事業者や地域は「サステナビリティ」について全く関心を寄せていない状況だった。

「自分の国なのに、自分の居場所がないような感じがして、日本に戻ってきて本当によかったのかな、と苦しい期間が続きました。でも、そののちWWF ジャパンで、サステナブルな社会や世界を実現していきたいという想いを持った方々ともたくさん出会えて。自分の考えていたことは間違いではないと思うことができました」





WWFでは観光とは別の分野に携わりながらも、「日本でサステナブル・ツーリズムの普及啓発に取り組みたい」と周囲に未来を語り続けていた貝和さん。ある時、8年前のGSTCから依頼を受けた翻訳の仕事がきっかけとなり、スタッフを探していたGSTCのCEOから直接声がかかった。どのような状況でも強い想いを持ち続けていたことで、貝和さんの夢が実現となった。



日本の「持続可能な観光地域づくり」を進めていくために



「世界には多様な立場、考え方の人がいるので、全員でサステナビリティに向かっていくことはとても難しいと思います。その状況下で、行動変容を起こすのに有効なのが『仕組みづくり』です。サステナブルな観光を実現しなければいけないという仕組みをつくれば、世の中は変わっていくと思っています。GSTCの基準や認証もそのひとつです」





日本の観光業は多くの課題を抱えている。その一つは目標の設定と実行までのスピードだ。サステナブル・ツーリズムの分野でも、日本における目標の設定や公表は世界的にも決して早くはなく、普及・啓発もまだ十分ではない。

一方で、良いところがあると貝和さんはいう。
「日本は目標の決定や実施に向けて予め入念な準備をするのですね。本当に細かく、こういう場合はどうしようということまで検討するので、時間をかけるのです。そのため、取り組みがスタートしてしまえばスムーズに進みますし、早い段階できちんと結果が見えて、継続していける。日本の優れた特徴だと思います」

その通り、2020年に観光庁がGSTCの会員となったことから、それまで片手で数えるほどだった日本の会員数は大幅に増加し、現在はアジア太平洋地域トップクラスの数となっている。また、国内で研修を受けたいという事業者や地域が増え、現在は延べ1000人以上がGSTC研修を受講し、世界で見ても最も多く研修が実施されている国となっているという。さらに、2023年には観光庁から「持続可能な観光地域づくりを進める」という目標が公に発表され、今後動きはますます加速するだろうと貝和さん。

サステナブル・ツーリズムへ取り組む事例も増えているなかで、岩手県釜石市は、早くから先進的な「持続可能な観光地域づくり」を進めた成功事例として注目されている。この地域は東日本大震災の影響もあり、復興と持続可能な地域の存続を模索する過程で市の観光計画の中に盛り込み、2016年にGSTCの国際基準に沿った観光地域づくりを宣言した。

その結果として、「人材が育って、地域に関わる人が増えた」という成果を上げている。サステナブル・ツーリズムにいち早く取り組み始めたことで、地域住民の知識が向上し、さまざまなメディアで注目されるようになった。釜石市が世界中で知られ、問い合わせが増加。サステナビリティに関心の高い若い世代の人々が仕事を求めて移住した例もある。雇用の機会が増え、観光業だけでなく、地域経済の潤いにもつながっているそう。





「鍵となるのは、人なのです。人々の知識が向上して、サステナブル・ツーリズムに関する人材が育成されて、周りの方々を巻き込んで、観光地域づくりが進められていく。観光客と地域住民、双方の幸せ度が上がることがサステナブルな観光のあり方です。このような地域や取り組み事例が、国内でも海外でも増えていけば、とても嬉しいです」

また、今後はGSTC認証も世界的にますます増えることが予想されている。一部のオンライン宿泊予約業務を行う旅行会社が、GSTC認証のあるホテルを優先的に掲載すると表明していたり、認証を受けた事業者としか取り引きをしないという旅行会社も増えてきている。日本の旅行者もサステナブルな観光を自ら選択できるようになる日も近いと期待できる動きもある。

「世界中のサステナブルな観光事業や地域づくりの事例を見てきて、サステナビリティを軸にさまざまな部門から人々が集まってアイデアが広がっていくのがとても面白いと思っています。今、たくさんの日本企業がGSTCの会員になってくださっています。それぞれの専門知識を活かしながら、アイデアを出し合って日本の観光をサステナブルに変えていけたらすごくいいなと思っています。最終的にはGSTCが介入しなくても、サステナブル・ツーリズムが当たり前になっている国をめざしたい。いつか日本の事例が他の国のお手本になれたら、本当に誇らしいです」

貝和さんの穏やかで優しい語り口調の中に、未来に対する想いが強く感じられた。