A SUSTAINABLE LIFESTYLE 2023/05/30

#02 井出雄士|服飾デザイナー

A SUSTAINABLE LIFESTYLE
電気自動車に乗って、興味深い生き方をしている人たちに会いにいく。
西へ東へ、それぞれのサステナブルライフ



服飾デザイナー/井出雄士

服飾デザイナー。広島県尾道市向島の立花にアトリエを構える。尾道から渡船で3分の向島は、しまなみ海道の最初の島。少数民族巡る放浪7年80カ国を経て独立。「Atelier Antwerp」 www.instagram.com/maruigeta/



サステナブルとファッション





 東京から広島県の尾道へ、ボルボの電気自動車C40で旅をした。


 尾道の島の海辺にアトリエを構え、オリジナルの衣服をデザイン、手作りしているデザイナーがいる。井出雄士。高校生の時に偶然目にした雑誌記事と写真が、彼を服作りの世界へ導いた。もちろんその道のりは平坦ではない。デコボコしたロング・アンド・ワインディング・ロード。二十代の七年間で世界八十カ国余りを旅し、服飾デザイナーになった。


 眼前に瀬戸内の青い海を望むアトリエで、井出はすべての工程をひとりでおこなう。完全受注生産だ。


 大量生産によって、膨大な量の衣服が捨てられ、布や原材料が廃棄処分となるファッション業界。そのようなビジネスモデルはもうクールではない。オーガニック、リサイクルリユース、サステナブルといったキーワードが、主役になる時代である「頼まれた分だけ作れば、無駄が出ない」と井出は言う。「地球が気持ち良ければ、自分も気持ちいい。オーダーされて服を作る、できあがったら届ける。それが僕のスタイル」


 森とサウナを愛する井出は、北国が大好きだという。


「北欧は、人々のライフスタイルも好きだし、デザインにも学ぶところが多い。今回、ボルボの電気自動車に乗るのが楽しみだった」


 デニム地のパンツやジャケットは井出の人気アイテムだが、最近は黒、白の衣服も好んで手がける。「結局、僕が着たいと思う服が、一番人気があるみたいです」と井出は笑う。


「背伸びしないで、自分が普段着として身に着けたいものを作ると、欲しいといってくれる人が多い」


 アトリエの前に停めた、クリスタルホワイトのボルボC40。この日、黒の上下を内側に、白の上着を羽織っている井出がそのクルマのそばに立つと、色合いがぴったりマッチした。ボルボの電気自動車のインテリアはレザーフリーだ。高級車の代名詞とも言える本革シートや革巻きステアリングはない。フロアカーペットがペットボトルをリサイクルしたものだと知ると、井出は興味深そうに手で触れた。「シンプルで、とてもきれいなデザインですね」


 ダッシュボードには、スウェーデン北部の美しい大自然、アビスコ国立公園の等高線に着想を得たグラフィックがデザインされている。広々としたパノラマ・ガラス・ルーフを通して車内には自然光があふれる。クルマに、ネイチャーやナチュラルといったテーマを融合させるところが、実にスウェーデンらしい。





持続可能な尾道ライフ



コーヒーはネルドリップでゆっくりと。思索の時間でもある



 尾道は、名作映画の舞台になってきた。小津安二郎の『東京物語』、大林宣彦の尾道三部作、『男はつらいよ』の寅さんも尾道を旅している。


 北前船の停泊地でもあった尾道は、「潮待ちの港」であり、旅人の街である。商船は、門司(北九州)、尾道、鞆の浦などに寄港しながら、大阪へと向かった。尾道は古来、旅人を広く受け入れてきた。


 だから今も尾道には旅人が多い。しまなみ海道が出来てからは、世界中からサイクリストが集まるようになった。旅で訪れ、そのまま住み着いてしまう人も多い。住み心地が良いのだろう。尾道は、昨今の移住ブームを牽引してきた。


 尾道は、もの作りの街でもある。デニム、帆布は特に有名だが、他にもクラフトチョコレート、クラフトビール、靴、帽子、活版印刷、陶器、ジュエリー、アート作品など、街にはもの作り作家やアーティストが数多いる。無人の古民家がいくつもあり、移住者は で自分の暮らしを手作りし、持続可能なライフスタイルを志す。


「サステナブルライフを実践したくて移住してくる人もいます」と井出が教えてくれた。「たとえば量り売りの弁当屋。容器を持参し、好きな分だけ詰めてもらう。畑の果物を分けてもらう、とれた魚をいただくというのは日常で、代わりにこちらは作業を手伝う、相手が必要としていることで返す。尾道には物々交換のカルチャーがある。それはサステナブルライフの基本ですよね」



旅で学んだデザイン



VOLVO C40 RECHARGE 車両本体価格¥6,990,000 ~



 十七歳の時、群馬県の高校生だった井出は、隣の席の女の子が持っていた雑誌「装苑」をパラパラと見ていた。アントワープ王立芸術アカデミー卒業ショーの記事に目が引きつけられた。現在パリを拠点に活躍する日本人デザイナー、瀬尾英樹の卒業コレクションが紹介されていた。


「それを見て、この学校に行こう、と思ったんです。ファッションのことなんて何も知らなかったけれど、これが自分のやりたいことだという確信があった」


 井出はひとまず東京の服飾専門学校へ入るのだが、数日でイヤになってしまう。


「みんなでこれを作りましょう、みたいな課題を出された瞬間に、これは違うと思った。だから毎日アントワープの学校のウェブサイトを開いて、卒業生たちの作品をつぶさに見たり、図書館に通い、世界中のファッションの本を読みふけった」


 旅に出ようと思ったのも、瀬尾英樹がきっかけだった。


「瀬尾さんはアフリカを放浪してファッションの世界に入った人。だったら自分もそうしようと思った。専門学校は辞めて、旅に出ました」


 最初はうまく旅の風に乗れなかったが、結果的に七年間の世界放浪となる。ワーキングホリデーでオーストラリアの広大なメロン農園に暮らし、金が貯まるとタスマニア、ニュージーランド、バヌアツなど南半球の離島を旅していった。やがてメルボルンからフランス、パリへ飛び、バスと列車を乗り継ぎ、ベルギー、アントワープへと辿り着く。


「アポも何もなく、アントワープ王立芸術アカデミーの職員室に飛び込んで、ここで学びたくて日本から来ました!と訴えた。目の前には、僕がずっと憧れていたデザイナーで当時の校長だったウォルター・ヴァン・ベイレンドンクがいて、そんなの無理だと冷たく断られたけれど、ごねにごねて何とか入試を受けられることになったんです」


 世界的な芸術アカデミーである。有名校出身のデザイナーの原石が集まっているその中で、井出は無名だった。だが、わずか二日間で井出が仕上げたデザイン画は、アカデミーの教員たちを驚かせ、トップの評価を得る。


「でも、あと一点が足りなくて入学は叶わなかった。それで、さらに旅を続けた。旅の最中いろんなデザイン画、デッサンを描き、ノートが何冊も出来ました」


 旅の果てに辿り着いたのが、尾道だった。「ある日、自転車で尾道を回っていて、渡船で向島に渡り、立花という場所に着いた時、ここだ、と思ったんです。それがこの場所、今僕がいるアトリエです」


 もともと喫茶店だった場所を、井出はD Yで直してアトリエにした。カウンターのカフェスペースが今も残る。自分でローストし、挽いて、ネルドリップで淹れたコーヒー。


「旅人の宿り木のような空間を作ろうと思っています。服を作りながら、旅を感じる場所にしていきたい」


 井出が、見せたい風景があると言い、自ら を運転して、向島の最高峰、高見山の展望地へ向かった。


 井出にとって生まれて初めての、電気自動車の運転である。スターターボタンがないことにまず驚く。ドアを開けて運転席に座り、シートベルトを締め、あとはペダルを踏めば動き出すのだ。


「めちゃくちゃ加速がスムースですね! 音が静か! 気づくとスピードが出ている!」と驚きが続く一方で、「でも、基本的にふだん乗っているクルマと変わらない。電気自動車だからと構える必要はないですね」


 クルマは、軽々と急な上り坂を駆け上がった。


「海も空気もきれいな瀬戸内の島には、排気ガスを出さない電気自動車が似合う気がします」


 ボルボは、事業全体で2040年までにCO2年を出さない、いわゆるクライメート・ニュートラルの実現を目指している。


「いいなぁ電気自動車。なんだか欲しくなってきました」


 高見山からは、美しい多島海が見渡せた。サステナブルなラグジュアリーを追求するボルボの電気自動車は、瀬戸内アーキペラゴにとてもよく似合う。


「年に一度は、ひとりで、何も知らない場所へ旅をします。瞑想のような旅。旅はいつも僕にエネルギーをくれるし、新しいアイデアを気づかせてくれる。ここをベースに、僕はこれからも旅を続けます」


「SWITCH VOL.41 NO.6から転載」



PHPTOGRAPHY: OTSUJI TAKAHIRO  TEXT: IMAI EIICHI