豊かに暮らすために。多様な価値観を受け入れ、次のゼロ・ウェイストをつくる。 2022/12/15

#11 東 輝実さん 合同会社RDND(アールデナイデ)代表社員/café polestarオーナー

TSUNAGU[つなぐ]
さまざまな出会いや気づきから、「好きなこと」「伝えたいこと」その熱意を原動力にして、自分のスタイルで発信する「人」にフォーカスします。それぞれのサステナブルへ“つなぐ”、発想や取り組みを紹介。





合同会社RDND 代表社員・café polestarオーナー/東 輝実(あずま てるみ)

徳島県上勝町出身。関西学院大学総合政策学部在学中よりルーマニアの環境NGOや、東京での地域のアンテナショップ企画のインターンを経験。大学卒業後、上勝町へ戻り仲間と共に合同会社RDNDを起業。2013年「五感で上勝町を感じられる場所」をコンセプトに「café polestar」をオープン。2020年ゼロ・ウェイストをベースとした上勝町滞在型プログラム「INOW(イノウ)プログラム」を共同創業者としてスタートさせる。2021年上勝町よりゼロ・ウェイスト計画策定事業を受託し、計画書の策定に携わる。



ここで暮らし続けるため、必然的に生まれた「ゼロ・ウェイスト」



徳島市から車で約1時間。山々に囲まれ、滔々と清流が流れる上勝町。人口およそ1400人と四国で一番小さな町だが、日本のサステナビリティを語る時、必ずと言ってよいほど名前を耳にする町でもある。

2003年、上勝町は、自治体として日本で初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」を行なった。町にはごみ収集車が走っておらず、住民たちは自らゼロ・ウェイストセンターにごみを持ち込み、45分別に協力する。同センターには無料のリユース推進拠点「くるくるショップ」も併設。まだ使えるが不要になった物はここに持ち込まれ、次の人の手に渡る。町内で不要になった衣類・布類を、住民たちがリメイクして販売する「くるくる工房」も精力的に活動している。2016年には、リサイクル率81%を達成し、現在も引き続き維持している。行政と住民が一体となってごみの削減に取り組む上勝町は、国内外から大きな注目を集めるようになり、コロナ禍以前には年間4000人ほどが視察に訪れていたという。

「私の生まれ育った町が、世界に対して影響力を持ち得ていることに衝撃と誇りを感じました。ここで活動することは、世界を変えられる可能性がある。そう感じたから、帰ってきたのだと思います」

そう語るのは、上勝町でカフェを運営しながら、町の暮らしをさまざまな形で発信している東輝実(あずま・てるみ)さんだ。東さんの母、ひとみさんは、上勝町でゼロ・ウェイストの推進力となった人だった。町で45分別されたごみは、それぞれのリサイクル事業者に受け入れられている。九州から北海道まで、全国にあるリサイクル事業者と話し合いを重ね、受け入れの道すじをつける大仕事を担ったのが、役場職員のひとみさんだった。そんな母の背中を見て育った東さんは、大学卒業後の2011年、故郷に帰り、仲間たちとともに合同会社RDND(アールデナイデ)を設立。2013年「五感で上勝を感じられる場所」をコンセプトに、カフェ・ポールスターをオープンした。



日本で初めて「ゼロ・ウェイスト宣言」をした上勝町で始めた「カフェ・ポールスター」。



店の暖房は薪ストーブで、薪は周辺で伐採された木々を使う。冬の寒さ厳しい土地のため快適に過ごせるよう、気密性にこだわり、大きな窓は全て二重サッシになっている。店内には、ハンカチ持参のお願いや、給水、給茶スポット、ゼロ・ウェイスト認証のステッカーが貼られる。食材はもちろん上勝産で、盛り付けには町内産のつま物(添え物として使われる枝葉)も美しくあしらわれる。生ごみは堆肥化して、農作物の栽培に使う。調味料や地域の特産品の阿波晩茶などの量り売りも行なっている。



「カフェ・ポールスター」では、ごみを出さないような工夫をして提供している。



「行政やNPOではなく、自分のやりたいことや考えで自由にできる、ひとつの点として、ゼロ・ウェイストを体現するモデルでありたいと思っているんです。インパクトは小さいけれど、この町の普通の暮らしの営みの中にゼロ・ウェイストがあることは、ただのカフェだからこそ、伝えられると思っています」



「ゼロ・ウェイスト」は目的ではなく、心豊かに暮らしていくための手段



東さんは、開店から2021年までの9年間、ほぼ毎日お店に立ち接客を続けてきた。しかし、2022年からは店主を仲間に任せ、お店に出るのは週1日程度に変えたのだという。どんな心境の変化があったのだろうか。





東さんが働き方を変える決意をした2020年は、当初上勝町がゼロ・ウェイストを実現するための期限に設定していた年だ。「2020年が近づくにつれて、ゼロ・ウェイストが苦しくなってきた」と東さんは当時を振り返る。

「2016年にリサイクル率80%を達成してから、もう消費者ができる限界まで来ているという感覚がありました。これ以上減らすなら、住民みんながすごく我慢しながら生活していかなければいけない。昔は楽しかったはずなのに、心地よさがない。そんなモヤモヤした気持ちを抱いていました」

「0」という数字に囚われ、ゼロ・ウェイストが単なる目的と化していた、と東さんはいう。苦しいのは、なぜ? この時抱いた思いが、現在も東さんが持ち続ける「ゼロ・ウェイストとは何か?」という問いへとつながっていく。同時に、期限を迎えるゼロ・ウェイスト宣言のアップデートは上勝町の課題でもあった。東さんは、町から「ゼロ・ウェイストタウン計画書」策定の委託を受け、自分自身の抱いた疑問を町のみんなに投げかけ、新しいゼロ・ウェイストを描く仕事を担うことに。さまざまな立場の住民が集い議論を重ねた末に、2020年12月、上勝町は2030年を見据えたゼロ・ウェイストを宣言した。



Document

1. ゼロ・ウェイストで私たちの暮らしを豊かにします。

2. 町でできるあらゆる実験やチャレンジを行い、ごみになるものをゼロにします。

3. ゼロ・ウェイストや環境問題について学べる仕組みをつくり、新しい時代のリーダーを輩出します。
(2020年上勝町ゼロ・ウェイスト宣言より)



「ごみをゼロにすることが目的ではなく、モノを大事にしたり、あるもので工夫したりすることで得られる心地よさや楽しさ、豊かさこそが、私たちがゼロ・ウェイストに取り組む意味なのだと思います。だから、新しい宣言では、暮らしや人を中心に置いた、豊かに生きていくための取り組みであることを盛り込みました」と東さん。東さんたち若手世代が考えたことが、町の方針として採用されたのは、とても喜ばしいことのように思えるが、この時東さんには「恐怖心」も芽生えた。そしてそれが、働き方を変える決意の源となっていく。

「私たちが考えたことが、本当にそのまま町の目標になって、嬉しい一方で怖さを感じました。いつの間にか自分たち世代が上勝町のフロントに立っていたのだと気づいたんです。自分に教養がなかったら、町全体が間違った道を進んでしまうかもしれない。かつては、“上勝のために“と、上勝に足らないものをつくり足そうとしてきました。でも今は、何が上勝のためになるのか?ここで、どんな暮らしをつくっていきたいのか?そんなふうに考えるようになってきたんです」

東さんはこれまで、カフェ・ポールスターの店先に立ち、来訪者に上勝町を伝えてきた。しかし今度は、自分自身が外を向いてさまざまな人に会い、学び、「ゼロ・ウェイストとは何か」を突き詰めて考えていきたい。その時間をつくるために、東さんはカフェから軸足を外すことを決意したのだという。



上勝町で、価値観や人生観を変える滞在を



2020年から、東さんが力を入れている取り組みのひとつに、「INOW(いのう)プログラム」がある。海外出身の移住者のスタッフたちと共に、上勝町で学びたいと考えている訪問者に向け、完全オーダーメイドの体験プログラムを提供している。参加者の価値感や人生観を変える学びは、「トランスフォーマティブ・ラーニング(Transformative Learning)」と呼ばれ、世界で注目されている。東さんは、「上勝町でゼロ・ウェイストという視点を自分の中に持ってもらい、自己理解を深める手伝いがしたい」と語る。





「上勝町での滞在を、内省のきっかけにしてほしい。自分にとって必要なものは何なのか。時間やお金、労力を何に費やして、その結果出るごみとのバランスが、自分にとって気持ちいいか、良くないなのかを知ることが大事。考えた結果、宅配ピザを頼む生活だったとしても、それはそれで良いんです。今は、みんなが無自覚であることに問題があると思う。こうした内省が、環境問題を解決に向かわせるはずだと考えています」

INOWプログラムで、最も印象深かったのは、日本のある大学生を受け入れた時のこと。上勝町に滞在したことで、サステナブルなパン屋を開く、という目標がクリアになり、今は隣の神山町にあるパン屋さんに就職したという。一人の人生に向き合い、彼女の人生のロードマップにゼロ・ウェイストの要素が加わったことは、東さんがINOWプログラムを続けるモチベーションにつながっている。

INOWプログラムを始めたことで、東さん自身が気づかされたこともある。

「ゼロ・ウェイストの根本にあるのはこの地の自然や流れる時間、昔からある伝統的な美意識。そのままあるものを上手に活かしていく、そんな価値観を残していくための、目的ではなく、手段として(表現として)のゼロ・ウェイストなのではないかと思い始めたんです」

物理的な豊かさではなく、精神的な豊かさを大事にする価値観は、上勝町に昔から存在するものだ。

侘び寂びや、自然とともにある暮らし方、日本的な文化。それらは、この山の中の村で生きていく難しさや貧しさと表裏一体で存在している。そうした美しさ、精神的豊かさが、現代のゼロ・ウェイストへとつながっているのではないか。大きな歴史の流れの中に位置付けることで、上勝町におけるゼロ・ウェイストの形になったんだとわかったときに、そこから楽しくなったと東さんは語る。



多様な価値観を受け入れながら、上勝の未来を描く



「ごみは何色だと思いますか?」

「なんでその色だと思ったの?」



金沢で実施したINOWワークショップの様子。上勝式にごみを分けると何分別に分けられるか、クイズ形式で体験し、ごみへの理解を深めてもらった。



最近東さんは、学校などで行うワークショップでこんな質問を投げかける。「ごみ」も「ゼロ・ウェイスト」も、人によって意味するものやイメージは違う。東さんは、みんなが自分の中にある「絶対こうである」という見方をやめ、なぜそのイメージなのか、それぞれ違う思考があることを知り合うことが、次世代のゼロ・ウェイストをつくっていくために必要なことなのではないかと考えている。

「豊かな暮らしをつくるための、これからのゼロ・ウェイストを提示することが、自分の役割だと感じています。そのために、私自身がさまざまな方々とのつながりから、多様な視点を知り、今ある絶対を疑って、考えたい。かつて母が、私を外へ連れ出してくれていたことを思い出します。小学生だった私をデンマークに連れていってくれたり、遠方の美術館や博物館に行ったり、夜7時に徳島市までコーヒーを飲みに行ったり……町の中に止まらず、外に目を向けなきゃおもしろくないよと伝えてくれていたのだと今ではわかります」

東さんは今、ワークショップの企画運営や、会議のファシリテーション、INOWプログラムや執筆活動に多くの時間を使っている。多様な価値観に触れ、ディスカッションし、自分の考えをまとめて発信する。こうした活動は、ゼロ・ウェイストとは何か、これからの上勝町をどうしていきたいかを考える礎になっている。

これほど有名な町にも関わらず、上勝町の人口は減少の一途を辿っている。毎年40名ほどの移住者がやってくる一方で、高齢の方々が亡くなったり、町外へと移住したりする人を含めて、毎年60名ほどが町からいなくなっているという。農業従事者の高齢化により、伝統的産品である“阿波晩茶“の存続も危うい。



乳酸菌で発酵させる珍しい製法で作られる「上勝阿波晩茶」は、酸味・まろやかさ・甘さのバランスが一体となった味わい深いお茶。カフェ・ポールスターでも提供している。



「人口減少が続く中で、私たちは、何を残し、何を残さないか決めないといけない。この町で暮らし続けるために、上の世代の人たちはゼロ・ウェイストという手段を選択しました。でも、ゼロ・ウェイストは絶対的な答えじゃない。今も大きな実験の途中なんです。受け取ったバトンを、どんな形にして次に引き継いでいくか?私たちの世代が、あなたたちが考えなさい、と言われていると思います」

自然と共に生きてきた世代から、ゼロ・ウェイストを選択した世代、そして今東さんたちへと、受け継がれてきた価値観がある。時代と共に、形を変えながら継いできたその価値観を、東さんは上勝町という枠に囚われず、たくさんの人と共有していきたいと話す。

「上勝が魅力的な共同体になれたらいいなというイメージがあります。国内外から訪れる方々も、この地に暮らす人も、いろんな人が集い、ディスカッションして、みんなにとって心地よい居場所になれる……そんな共同体であり、ゼロ・ウェイストやサステナブルを学べる“上勝学”のようなものにしていく。そんな未来を描いています」