世代を超えて豊かな海と生きていく。 2022/11/24

#10 新里昌央さん|漁師/白保魚湧く海保全協会会長/シュノーケリングサービス SEATOP石垣島代表

TSUNAGU[つなぐ]
さまざまな出会いや気づきから、「好きなこと」「伝えたいこと」その熱意を原動力にして、自分のスタイルで発信する「人」にフォーカスします。それぞれのサステナブルへ“つなぐ”、発想や取り組みを紹介。





漁師・白保魚湧く海保全協会会長・シュノーケリングサービスSEATOP石垣島代表/新里昌央(しんざとまさお)

漁師の仕事やシュノーケルガイド業を行いながら、白保魚湧く海保全協議会に設立当時から携わり、現在3代目会長を務める。沖縄県石垣市の白保サンゴ礁を集落総有の財産と位置づけ、サンゴ礁保全とその持続的な利用による地域活性化に取り組む。2020年3月には、『第2回沖縄県地域づくり団体表彰』の大賞を受賞。人々の生活と切り離せない関係にある白保の海とサンゴ礁文化を次世代まで継承してゆくため、月1回のビーチクリーニング、サンゴ礁や赤土のモニタリング調査、子どもたちへの環境教育活動などコミュニティーベースドマネージメントの手法を用い、サンゴ礁保全のための啓発活動にも積極的に取り組んでいる。



世界最大級のサンゴ礁が育む石垣島・白保の文化



那覇市から南西にさらに410km、サンゴ礁に囲まれた石垣島といえば、温かな南の島の気候や、ゆったりと流れる時間に加え、その海の美しさは国内外にもよく知られている。

ところが、その石垣島の海も危機的な状況に面しているという。

「一見美しく見える石垣の海ですが、海の中は緊急事態です。海を眺めていて出てくる『きれいだね』という言葉と現実にある大きなギャップについて伝えるのも僕たちの仕事です」そう話すのは、石垣島、白保(しらほ)で海を守る活動をしている新里昌央さんだ。





白保は約1600人が住む地区で、島の賑やかな中心街とは異なり、伝統的な石垣に囲まれた赤瓦の民家が立ち並ぶ。道路は車一台ほどの幅で、街灯も少ない、静かで穏やかな時間が流れる場所だ。そして白保を語る上で欠かせないのが、世界最大級のアオサンゴ群集を有する海だ。平成初期には、当時環境保全団体の総裁だった英国の故フィリップ殿下も視察に訪れたことで、多様性豊かな白保の海は世界中が知ることとなった。

白保のサンゴ礁は海洋生物のすみかとして豊かな漁場を育むほか、人々の生活と密接に結びつき、独自の文化である『サンゴ礁文化』を育んできた。台風から家を守る石垣や、赤瓦の漆喰、礎石に丈夫なサンゴ石が用いられた民家が今も白保に立ち並ぶ。また、電気のない時代には、砂利の代わりに庭にサンゴを敷き詰め、毎年正月に新しく入れ替えた。防犯にもなるほか、サンゴの白さが月明かりを反射して間接照明の役割も果たす。地元でガイド業も行う新里さんが、インターネットやパンフレットだけでは得られない白保の歴史や文化についてたくさん語ってくれた。



家の柱の礎石もサンゴ石。サンゴと共存してきた証が『サンゴ礁文化』として根づいている。



「白保にとってサンゴは身近でとても大切な存在です。その証拠に、白保小学校の校歌の歌い出しも『白き真砂(=さんご)に青き松』というフレーズで始まっています。身近にある恵みを日常にうまく利用することで育まれたサンゴ礁文化は、豊かなサンゴ礁が存在する白保ならでは。それだけでなく、海岸の大きなサンゴは『ニンゲ石(=願い石)』と呼ばれ、大漁や航海安全を願う海神祭の儀式の場所になるなど人々の信仰の場にも常にサンゴがありました」

ところが、海の状態は年々悪化しているという。サンゴの白化*1が進み、海洋ゴミも数十年で大幅に増えた。

「海に入っていると、年々魚が減っているのを肌で感じます。乱獲だけでなく、水質の変化や気候変動による水温上昇も関係しているかもしれません。また、サンゴに漂流してきた漁具が絡まってしまい息絶えてしまう例もあります」

*1白化…外的ストレス等により、サンゴに共生する褐虫藻が減ることで、サンゴの白い骨格があらわになる現象。サンゴが弱ったり、死滅する原因になる。



大人になってから、楽しさも怖さも含めて海が好きになった



白保の人々にとって海は、「魚湧く海」「宝の海」「育ての親」であり、生活と切り離せない存在であるとして、海の環境悪化を食い止めるべく、2005年、地元のメンバーにより「白保魚湧く海保全協議会」が立ち上げられた。新里さんは、協議会の立ち上げから携わり、漁師とシュノーケルガイドを行いながら、現在は協議会の三代目会長を務めている。

『海で落とし物をしたら、同じところに戻って的確に見つけられるのは白保では昌央さんだけ。何をするにも一生懸命な人で、白保には昌央さんにしかできないことがたくさんある』と周囲の人が語るほど、新里さんは白保の頼れる存在だ。今では海に関して、ずば抜けた力量の持ち主である新里さんだが、生い立ちを尋ねると意外な言葉が語られた。

「実は、20代になるまではほとんど泳げなかったんです」





新里さんは島生まれ、島育ち。石垣の人々は日々海と共に過ごすからこそ、災害や水難も目の当たりにしてきた。海の恐ろしさを知っているから、海に行かない、泳がない人も島では少なくないそうだ。

高校卒業後は専門学校に通うため那覇で2年間を過ごし就職したが、石垣が恋しくなってすぐに戻ってきた。その後は、シュノーケルガイドでもある父親の観光船ツアーに興味本位でついて行ったりもした。

「幼い頃から白保の海が当たり前だったので、大人になるまではその美しさや凄さをあまり感じませんでした。でも、ツアーのお客さまが感動している様子などを見て、ふと、『白保の海ってすごいのかもしれない』と思ったんです。そこから、白保の海のことをもっと知りたいと思うようになり、ある日父親に『見るだけで良いので漁に連れて行って欲しい』と頼み込みました」

新里さんの父親は地元でも「レジェンド」と呼ばれるほどのすご腕の漁師。しかし、乱獲などによる漁獲高の減少を肌で感じ、将来への懸念から「漁師にだけはなるな」と新里さんに言い聞かせてきた。一方、新里さんは海のことを知れば知るほど好きになり、気づけば漁師になることを志していた。

「海は楽しさ半分、怖さ半分。それも含めて海が好きになったのは大人になってからのこと。海は色々なことを教えて、僕たちを育ててくれる存在です」



海岸沿いは、サンゴ礫(れき)が広がっている。拾えないほど細かくなったマイクロプラスチックもみられる。



漁のため、海に入れば入るほど、新里さんが海に魅せられていくのと同時に、海の環境はどんどん悪化した。特に20〜30年前には見られなかったペットボトル等のプラスチックゴミが大幅に増えたという。協議会が立ち上がった当時は、環境への関心はそこまで高くなかった新里さんだが、守らなければならない海になっているという危機感を初めて感じた。そしてその危機感は海に入るほどに強まっていく。



海を守るため、地元の魅力を語り継ぐ人を増やしたい



数十年で様変わりしてしまった海の危機的状況を回避すべく、新里さんは「白保魚湧く海保全協議会」のメンバー6名を中心に、周囲を巻き込みながら海中の赤土やサンゴの調査、ビーチや水中の清掃活動のほか、白保の海のことを伝える活動を行っている。

「協議会で活動するうちに、白保の人たちは自分たちの海のことをあまり知らない『灯台下暗し』の状態であることに気づきました。自分もかつてはそうでした。また、以前はよく用いられていたサンゴの石垣がコンクリート塀に変わるなど、技術の進歩により、海の恩恵を日常で感じづらくなったことも人々の海への関心が薄れた原因だと思います。海を守るには、そこに住む人々が海の大切さを理解することが不可欠です。まずは白保に住む人たちの意識を変えることが最重要だと考えました」

そこで新里さんが実施したのが、白保の住民に向けた地元ツアーだ。もともとはガイド業として観光客向けにやっていたツアーだが、地元の婦人会、青年会などさまざまなメンバーを連れ、新里さんが吸収してきた海や白保についての歴史や文化、そしてその魅力を存分に伝えていった。

また、海に触れる機会が少なくなりがちな子どもたちに向けて、小・中学校で出前授業も行っている。遊泳授業をしたり、シュノーケリングでサンゴを見たり、サンゴの大切さについての授業を行うなど、積極的に講師として関わっている。

「地元向けツアーや、子どもたちに向けた授業を通じて、僕の話を聞いた住民たちや子どもたちが、僕と同じような『語り部』になってくれることを願っています。特に子どもたちが大人になった時は、次の世代に白保の歴史や文化、海の大切さについて語り継いでもらいたい。次世代につないでいく自然や文化を残すためには、そのことを理解してアクションを起こせる人材が必要です。今は語り部のいない空白の世代があるので、その空白を自身が埋めることで次の世代に繋げていきたい、という想いが今の活動の原動力になっています」



毎月1日、白保魚湧く協議会の呼びかけで地域の有志が白保海岸のビーチクリーンを行っている。だれでも参加が可能。



もう一つ、新里さんたちが住民の意識変革のために始めたのが、白保のビーチクリーンだ。一見美しく見える白保の海だが、よく見るとペットボトルやビーチサンダル、漁具と思われる多くのゴミが浜辺に打ち上げられている。そこで、毎月1日に地元の有志メンバーで清掃活動を始めた。とある日は約1時間で50袋を超えるゴミが集まった。これでも少ない方だと言う。



1時間程度の作業で大量のゴミが集められた。外国から漂流するペットボトルやブイ、プラスチックトレイなどさまざまなゴミを分別する。



「ビーチに打ち上げられたゴミは、拾ってもらえる『幸せなゴミ』です。実際は、拾えないほど細かくなったマイクロプラスチックや、人間の手が届かない場所にもっと多くのゴミが漂流していることがより大きな問題です。そのような大きな問題に意識を向けるためにも、ビーチクリーンは非常に大事な活動だと捉えています」

活動を行っていく中で確かな手応えも感じている。以前は海のことに関心のなかった住民も、ささいなきっかけからビーチクリーンに参加して、「これは続けてやらんといけないよなぁ」と言いながら継続して参加してくれている。最初は5名ほどで始めた取り組みだったのが、今では子どもから大人まで早朝から40名近くが集まる活動になった。さらに、地元漁師などが自主的に清掃活動を始めようとしている動きがある。地元民も移住者も関係なく一緒になり、和気あいあいとビーチクリーンに取り組む様子はとても清々しい。



大変な分別を終えたビーチクリーン参加者。



「協議会のメンバーも、仕事や出身地こそバラバラですが、みんなに共通するのは『とにかく心の底から海が好き!』だということ。全員が、義務感からではなく、海を守ることは自分にとってもプラスになるという気持ちで取り組んでいます。その気持ちがあれば、地元民なのか移住者なのかは全く問題になりません」

最近は水中の調査や、学校への授業についても、ボランティアで取り組みたいという声が増え、白保に恩返しをしたいという熱意も広まっている。



海と人間が持続的に共存する道を探る



「まずは自分が動いて取り組まなければ、説得力がない」と、自らさまざまな活動に取り組んでいる新里さんだが、海を守る活動を持続可能なものにしていくために2つのことを大切にしている。

1つ目は「保全」という考え方だ。

手つかずの自然をよしとして、人間の手の届かない場所に置く「保護」の考え方ではなく、協議会では「保全」という考え方を尊重している。

「保全」とは、人間が自然に関わりながら守っていくことだ。例えば、サンゴ礁に一切近づかない、触れない、という考え方ではなく、時に観光資源として利用する過程で、サンゴに絡まっているゴミに気づけば人間の手で取り除いてサンゴを守る。全く手をつけないのではなく、サンゴと上手く共存しながら、人の手で守っていく「保全」が、継続して白保の海を守るためのカギだと新里さんは語る。

「『危ないから』『尊いから』自然に触れないという思想も大切ですが、それだけでは新しいアクションは起こりません。例えば、包丁も危ないからといって、子どもに全く触らせないでいたら、その便利さを享受することはできませんよね。包丁は、使う人次第で便利な存在にも、凶器にもなり得ます。これは自然も同じ。結局は人間の行動次第です。だから、僕は子どもたちを自然から遠ざけるのではなく、サンゴを触らせたり、時には舐めさせてみたり(笑)、五感を存分に活用して身近に感じてもらいながら、共存の方法を探る『保全』の考え方を伝えています。『保護』よりも『保全』の方が白保の生活に合っているし、より持続的な活動につながるキーワードだと捉えています」





持続化の2つ目に大切にしていることは、「したいこと、できること、やらなければならないこと、の3本柱」だ。

「僕は、組織の中でこの3本柱を常に大切にしています。まずは、何事も楽しくないと続かない。やらされていることはつまらないので続きません。楽しい、という気持ちはとても大きな原動力なので、まず一番に、協議会で何かやる時は自分を含めた一人ひとりが『したいこと』を尊重しています。また、『楽しい』という気持ちをもった人たちが集まると、一人ではできなかった、「できること」が増えると自覚することも大事です。そして、その力を活かして「やらなければならない」使命を意識して活動します。この3つが揃うことで持続可能な活動がしていけるものと思っています」

子どもの頃は、自然と人間の生活を守る考え方について、集落内で意見が分かれ、辛い思いをしたこともあった。同じことが二度と繰り返されないようにと、注いできた新里さんの熱意が住民の意識を変え、少しずつその輪は広がっている。

「協議会の活動をしていて辛いと思ったことはありません。だって、海が大好きだからね」と、楽しそうに語る新里さんに、今後取り組みたいことについて聞いてみた。

「高校生と海のつながりを増やしていきたいと思っています。今は小・中学生に向けては授業を行っていますが、高校生に向けては実施をしていません。高校生になると地元よりも街で遊ぶ機会が増え、卒業後、ほとんどは島を出てしまいます。その前に、もう一度海の大切さを知って『自分たちの育った白保はこんなにすごいんだ!』ということに気づいてほしいなと思います。そしてその子たちが卒業して、地元に帰ってきたら、8人目、9人目の協議会のメンバーになってくれる日をじっくりと待ちたいですね」