スウェーデンの独自性 2022/11/10

Stories of Sustainability vol.11

MANABU[まなぶ]
Stories of Sustainability
スウェーデンなど北欧諸国をはじめ各国のサステナビリティな文化慣習や、取り組みをお伝えするのが「Stories of Sustainability」。未来を変えていくアクションやヒントを“まなぶ”。



スウェーデンの持続可能な社会構築の前提条件は長く続く平和。
Emelie Asplund/imagebank.sweden.se



他国と異なる第三の道



今日において「スウェーデン」というワードを聞くと、どちらかと言うと良いイメージを思い描く人の方が多いのではないでしょうか。

自然豊かで安全。高い教育水準。男女平等でダイバーシティーが高く、福祉国家で老後も安泰。経済は豊かでIT先進国。デザイン大国で素敵な暮らし・・・。

もちろん様々な課題はあれども、このイメージは決して間違いではありません。日本をはじめ、多くの国々の政治家や研究者が現地を毎年訪れるほど、スウェーデンはあらゆる点で世界の模範とされています。

また、スウェーデンは厳しい自然とともに生きてきた経緯から、自然を最重要視し、人にも地球にも優しい社会システムの構築やビジネスを展開する術を心得ています。

特に1990年ごろからの環境問題に対する取り組みで印象的なのが、まずは目標を設定して、そのために今何をすべきなのかを考えるバックキャスト方式を採用した点です。

資源は有限であり、我々人間はその恩恵を預かっているという発想のもとで、将来を見据えながら現社会がどのようにあるべきかを模索していくというものです。この発想によって、経済活動と環境対策を一貫して進めることができるというわけです。



スウェーデン全土にまたがる鉄道網。世界で最も環境に配慮した鉄道システムを持つ国の一つとされている。
Jann Lipka/imagebank.sweden.se



しかしそんなスウェーデンは、ヨーロッパの国々を恐怖に陥れたバイキングの歴史に始まり、17世紀には争いを好む国王たちによって、バルト海沿岸に領土を拡大していった過去があります。

当時はフィンランドやロシア、ドイツ、ポーランドの一部を統治下に置く帝国に成長していましたが、19世紀初頭には、何百年にもおよぶ戦争によって、経済が疲弊する状況に陥っていました。

そして個人の自主・権利はないに等しく、閉鎖的で、上下関係を重んじる硬直した階級社会が蔓延り、国民のほとんどは厳しい条件下の農村で暮らす開発の遅れた農業国で、ヨーロッパの中で貧困国の一つとされていました。

中学生程度の子どもたちが低賃金で働き、10人ほどの大家族が小さな一部屋で寝食をともにする暮らしは稀でなく、貧しさを脱するため、1850年から1930年の間に人口の5分の1がアメリカなどに移住した歴史があります。今スウェーデンが実践している持続可能な国のあり方は、20世紀前半まで1ミリたりともなかったと言っても過言ではありませんでした。

ではそんなスウェーデンが、世界の模範となり、様々な点で持続可能な社会を形成し続けている要因は何なのでしょうか。

近代のスウェーデン社会構築の前提条件の一つと考えられているもの、それは平和です。厳しい暮らしが続いていたとは言え、スウェーデンは1814年以降戦争に加わることなく、今日まで中立国として平和を維持してきました。現在の国境は1809年に設定されたもので、今もそのラインは変わっていません。

また貧しかったスウェーデンですが、19世紀後半に転機が訪れます。もともと1870年代までは穀物や鉄、木材などの原材料が主な輸出品目でしたが、イギリスなどの産業革命にともなう需要とともに、1890年ごろから近代産業が発展し、原材料のみならず加工された品々の輸出による収益が増加しました。

そして経済の規制緩和によって個人の経済活動が進み、国内での消費需要も伸び始めました。

結果、機械産業と森林産業が芽生え、さらに全国にまたがる鉄道網が敷かれたことで、北部地域の森林や鉄鋼、水力発電などの資源が、スウェーデンの各地域にも行き渡り、今日の礎となる産業構造の基盤が整い始めました。第一次世界大戦においては中立を維持し、戦争特需によって経済はより拡大していきました。



)国と国民との信頼関係があってこそ、スウェーデンは独自の道を貫くことができている。リクスダーグ(Riksdag)と呼ばれるスウェーデン議会は、ヨーロッパで最も長い歴史を持つ議会の一つ。
imagebank.sweden.se



そんな中、1928年に社会民主党の党首で当時の首相ペール・アルビン・ハンソンが「国民の家(Folkhemmet)」という社会的ビジョンを掲げました。

スウェーデンは今後、平等と協調からなる「良い家」のようになるべきであると宣言したのです。

良い家は特権や冷遇がなく、えこひいきや疎外がない。他人を軽蔑する人がいない。他力で利益を得ようとする人がいない。強い者は弱い者を抑圧したり、彼らから略奪しない。そこには平等、優しさ、協調、助け合いが存在する。

スウェーデンという国はこのような善良な家であり、国民はその家で暮らす家族で、人々が社会的および経済的に、安全に暮らせるようにする責任を国が負うというものでした。

このビジョンの目的は、スウェーデンを貧困から救い出し、社会的条件に関わらず、国民誰もが安定的な生活を送ることができる社会を築くことでした。

その根底には「自律」と「平等」が存在します。

妥協・協調・理解を大切にして、誰か一人が目立ったり秀でたりするのではなく、みんなが満足することを望むという、スウェーデンに昔から受け継がれてきた国民性があります。



妥協・協調・理解を大切にして、みんなが満足することを望むスウェーデンの国民性は、ビジネスシーンでも見受けられる。
Lena Granefelt/imagebank.sweden.se



またこれには、貧富の差が広がりやすい欧米の資本主義、もしくは経済が発展しにくいロシアの共産主義という、正反対の路線への移行によって、世界が二分化された時代背景があります。

スウェーデンはそのどちらにも偏りすぎない、経済成長と社会福祉の充実をともに促す、第三の道を選択したのです。選択肢が2つあったとしても、それがどちらともに完璧ではないとするならば、その中間のベターな道を選択するという方法です。

アメリカのジャーナリスト マークイス・チャイルズは、記者としてスウェーデン社会民主党と密な関係を築き、他に類を見ないこの改革政策に関する研究を進めました。

この研究を記録した著書「Sweden:The Middle Way」が1936年に出版されるやいなや、世界的に大きな注目を集め、この政策は書籍のタイトルを引用して「スウェーデンの中道(The Swedish Middle Way)」と称さるようになりました。

以降スウェーデンは他国とは異なる道を歩みながら、より高い生活水準の実現、インフレや失業率の抑制、機会均等など、1930年代後半から1970年代初頭にかけて、様々な観点から包括的に政治的社会改革に取り組んでいきました。常に軌道修正を行いながら、独自路線を貫いて実現した今日のスウェーデン社会のあり方は「スウェーデンモデル」とも呼ばれています。

スウェーデンの独自性は、コロナ禍初期においても「集団免疫を得る」という、他国とは異なる対策からも見てとれます。

誰も行っていない方法であっても決行し、失敗すれば方針転換する柔軟な対策の前提には、国と国民との強い信頼関係が必要です。

スウェーデンはしっかりとした民主主義によって成り立っていますが、それは社会のあらゆるレベルや仕組みに反映されており、「全ての権力は国民に由来するという」という原理原則が議会制民主主義政治を支えています。透明性と平等が存在し、誰もが政治家や行政の行いを監視することができます。

国民は自分の税金がどのように使われ有効活用されているかを知り、信じることで高い税金を支払っています。そして国は国民が安心して生活をするための努力をし続けることで、スウェーデンモデルは機能し、独自性を貫くことができるというわけです。

「国民の家」という社会的ビジョンとその政策を皮切りに、独自の歩みを進めた第三の道こそが、スウェーデンの今に繋がる持続可能な社会構築の礎と言えるかもしれません。